「やさしさ貯金」と「やさしさ募金」

ぼくたちはみんな、ひとりひとり、やさしさを持っている。

そのやさしさは有限で、人に与えるのにはある程度の限りがある。

なぜなら、ぼくたちは、だれかれ構わずやさしさを与えたりはしない。

だれかれ構わずやさしさを与えることで、本当にやさしさを与えたい人に

やさしさを与えられなくなってしまうからだ。

やさしさは有限だ。

そして、どの人にやさしさを与えるかの決定権はその人自身にある。

三者に、強制的にやさしさを与える対象を決められることはない。

ぼくたち自身でやさしさをだれに与えるかを決めることができる。

また、同時に、

ぼくたちはやさしさの貯金をしている。

だれからやさしさを与えられ、

だれからやさしさを与えられていないかを、

敏感に感じ取り、より多くのやさしさを与えられようとする。

やさしさ貯金が多い人ほど満たされ、

やさしさ貯金が少ない人ほど不満を感じやすい。

多くの人からやさしさを与えられる人もいれば、

だれからもやさしさを与えられない人もいる。

やさしさは偏る。

多くの人からやさしさを与えられた人は、

だれかにやさしさを与える余裕が生まれ、

だれからもやさしさを与えられない人は、

だれにもやさしさを与えられないほどにやさしさを渇望する。

やさしさは有限だ。

ぼくたちが持ってる有限のやさしさを、

どううまく循環させることができるだろう。